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東京 芝の増上寺の管長さんと高崎
東京 芝の増上寺の管長さんは
高崎にゆかりがあるんですって


  増上寺        増上寺のHPから

浄土宗大本山増上寺の一番偉い方、トップですね
いわゆる管長(かんちょう)という役職を、法主(ほっす)というそうです
浄土宗大本山増上寺 第88世法主 八木季生(やぎ きしょう)さん
尊称は、台下(だいか 身分の高い人を敬って言う言葉)

お世話になった(なっている)Nさんから教えていただきました
  「八木季生台下は、高崎藩士 八木弾右衛門・弾助の子孫」

『新編高崎市史 資料編5』を見てみると
あっ!出てます、出てます

 
   ↑八木弾助 安政6年(1859)高崎藩分限帳 新編高崎市史より
  
  「幕末期、八木弾助に3人の息子がいて、
   長男は八木義生、次男は八木義信、三男八木元三郎」
 
    ↑八木元三郎 明治3年(1870)高崎藩職員録
  
  「三男元三郎は慶応頃から、高崎藩飛領の銚子詰だった
   元三郎は30代の若さで没し、困った奥方は幼児を寺院へ預け、
   その子は寺院養子の僧侶となった
   この人が、季生台下の父上です」

このお話は、
Nさんが八木季生台下の息子さんで、
一行院現住職の千暁さんのブログに出てたのを発見して、
千暁さんと連絡をとったそうです

でも残念ながら、今そのブログは
HPをリニューアルしたせいか存在していません

  一行院           一行院のHPから

季生台下は、昭和4年東京生まれ
文京区一行院の住職を務め、浄土宗の役職を歴任し
平成20年11月21日から88世法主に就任され、現在にいたってます
        
徳川将軍家とのゆかりの深い増上寺
高崎と思わぬつながりがありましたgirl

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posted by: more | 歴史 | 18:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
草津町に設置された重監房資料館
第22回群馬地域史懇話会の最後の見学は
重監房資料館です


草津温泉街から車で7分
国立ハンセン病療養所栗生(くりう)楽泉園」の敷地内にあります

ハンセン病をめぐる差別と偏見の解消を目指して
国が設置した資料館です

まずレクチャー室で、ハンセン病や特別病室
(その実態はハンセン病患者の懲罰室)、
についての映像を見てから
主任学芸員の北原誠氏に展示ブースで解説していただきました

ニュースなどで知ってはいたものの
展示をみて、胸がつまりました
見学者全員の言葉がだんだん少なくなり
無言になります
見に行ってよかったと思います

重監房資料館のHPはこちら矢印
http://sjpm.hansen-dis.jp/


その後、草津町前口でおそばの昼食を食べて解散しました

今回も世話人の方々に、文字通り
お世話になり、ありがとうございました
特にFさんにはホント感謝です
また、来年もよろしくお願いします

今回入った草津温泉!
酸性が強いと聞きましたが、
ひじ、ひざ、かかとがツルツルに
天然温泉のピーリング効果でしょうか
うれしかったですgirl
posted by: more | 歴史 | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
草津温泉ぶらぶら探検
群馬地域史懇話会の巡見は楽しい!
草津温泉の迷路のような小道も通ります
中沢さんがガイド役ならでは、ですね

温泉のシンボルは、湯畑
湯畑の前にある、源頼朝にゆかりのある御座之湯

右上にチョット見えるのが頼朝宮です
頼朝がこの辺りの石に座ったのかも

左が旧御座之湯の白旗源泉(上記の画像の左側)、
中央奥が現在の御座之湯

湯畑をぐるっとまわると、山本館が見えます

大正時代の建築で木造三階!
今の草津温泉で一番古い建物


湯畑の煙の向うに見えるのは
湯滝の燈籠 文政13年(1830)に寄進されたとのこと
湯樋は木製で、5年に一度取り換えるそうです

八代将軍(吉宗)御汲上の碑
江戸まで温泉の湯を運ばせたとか

信州街道の道しるべもありました

「従是(これより)常布瀧 白根山」
「従是 鬼泉山(現在の西の河原) 氷谷」

左に小さく道しるべ、右に見える道が信州街道
渋峠へと続きます

この道しるべには「寛政十戊午(つちのえうま 1798年)」
とあり、県の文化財に指定されています


旅館大阪屋の文字、趣がありますね
俳人 河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)の揮毫ですって
正岡子規の門人で、子規門下の双璧の一人です


歩いている途中にあった温度計 22℃
今10時頃、高崎は25℃くらいでしょうか


ここは地蔵の湯
すぐそばに源泉の小さな湯畑があり、地蔵堂もあります
湯畑の前には小さなお地蔵さんが2体
眼病にいいとか
そういえば、『新編 高崎市史 資料編8』P.450〜452に
嘉永3年(1850)と文久2年(1862)、片岡郡石原村名主 山口太郎平が
眼病治療のため、草津入湯許可願いを出した史料が掲載されています


そして、ここはセント・バルナバ教会
コンウォール・リー頌徳公園の中にあります
イギリスに貴族の娘に生れた
メアリ・ヘレナ・コンウォール・リー女史が
この教会を設立し、ハンセン病患者の救済活動に
一生を捧げたそうです


リーかあさま記念館の開館時間前だったので
教会の中を見学させていただきました


頌徳公園にあるリー女史の顕彰碑


草津町役場です
1階に町立図書館があります
この役場と隣のバスセンター辺りが、
江戸期に光泉寺が管理した無縁寺という寺の跡地だそうです
無縁寺の庭の一角に、草津温泉の湯治で亡くなって
引き取りのない遺体を埋葬しました

ここがその墓地だったところ
墓地は、現在は町営墓地に移転されていますが、
図書館で、誰かが歩いてる音や、本をめくる音など、
ミステリアスな音を聞いた人がいるそうです!?

車をおいた集合場所に戻って
名ガイドの中沢さんとお別れです
前日の発表と合わせて、ディープな巡見になりました
ありがとうございました!

さあ次は、草津温泉から車で移動しますgirl
posted by: more | 歴史 | 16:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
光泉寺で見つけたもの
群馬地域史懇話会の研修会2日目は、
草津温泉を歩いて探検しよう!です
案内してくださったのは、昨日の発表者の
草津町立図書館中沢孝之

まずは、日本三大温泉薬師の一つ光泉寺
何といっても、真言宗豊山(ぶざん)派の
このお寺の山号草津山
湯畑を見下ろす高台にあります

もともとは画像の左手の駐車場にあったとか
右の道をまっすぐ行くとお寺へ


正面が薬師堂
このお寺は江戸期に2度も火災に遭ったとか
再建された薬師堂にご本尊の薬師如来がいらっしゃいます


右手が釈迦堂
焼失せずに現存しています
茅葺屋根が雨に濡れてしっとりとした風情


この燈籠は1対ですが、火災に遭った痕が
よくわかります

燈籠には「安永四年(1775)」とありました
何と江戸期の落書きも残っています
墨書ってスゴイ!

「江戸日本橋呉服三郎兵衛」とか書いてありました

燈籠のそばにもあるある!

これは「入浴逝者之塔」明治33年(1900)に建立
湯治していて亡くなった人たちの供養塔です
明治33年は、高崎が市制を施行した年


野島小八郎君之碑」明治43年建立
草津温泉は、温度が熱く、酸性度も強いので、
「時間湯(3分間と時間を決めて入浴)」で
入浴治療をするように指導する
熱の湯湯長を務めた人の顕彰碑ですね
熱の湯は、以前は共同浴場でしたが、
今は湯もみショーなどをしています

そのほかにも、
仏教哲学者で東洋大学の創設者である井上圓了揮毫による
行基開湯壱千弐百年記念之塔
吉野秀雄歌碑などなど、見どころがたくさん!


山門から見ると湯畑がずうっと下に見えます
実際はもっと急な石段ですよ
ここが参道ですね
草津温泉の地形はすり鉢状になっているとか
ホント、歩くとよくわかります
さて次は、石段を下りて湯畑方面へ行きますgirl
posted by: more | 歴史 | 18:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
第22回群馬地域史懇話会in草津
8月22日(土)〜23日(日)
恒例の宿泊研修会に行ってきました


   草津温泉グリーンハイツ
もちろん、源泉かけ流し
お湯よし、食事よし、お財布にやさしい価格でよかったです

ロビーには樹木の見本がたくさん
一つ一つ、名前と用途などがわかります
林野庁の保養施設ならでは、ですね

出席者は26名
研修会の発表も
 古代・中世の吾妻北毛地域
 中之条町の鳥追い祭り
 関東御要害と吾妻の関所
 草津温泉の湯治文化
の4本と盛りだくさん

年に1回のお馴染みのメンバーに、
初めて顔を合わせた人たちとの充実した時間
懇親会の夜も更けて


発表資料の文化9年(1812)の上州草津温泉図(複製)
翌23日はこれを見ながら草津温泉を歩きますgirl
posted by: more | 歴史 | 09:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あぐりーむ昭和で昼食を
さてさて、巡見も無事に終わり、
昼食は旬菜館で、
手打ちの天ぷらそば750円
20130818115806.jpg
天ぷらも揚げたてで、おいしかったです

20130818121928.jpg野菜が満載です
スイスチャードも売ってます
茎の黄色と赤い色が鮮やかな野菜
炒めたり、サラダの彩りに

あぐりーむ館のジェラートの
「つぶし込みブルーベリー」もスッゴくおいしかったで〜す
目の前でバニラアイスに粒々が残った
昭和村産のブルーベリーソースを混ぜ込んで作ってくれます
これがホントの地産地消かも

ここで解散です
懇話会の世話人さんたち、お世話になりました、ありがとうございました
特にFさん、お疲れ様でした
参加者の皆さん、また,
今回会えなかった皆さん、
来年もよろしくお願いします
posted by: more | 歴史 | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
群馬地域史懇話会3
雲昌寺の後に
公民館文化財展示室
発掘された土器などを見てから、
阿岨城(あぞじょう) 跡へ、

コンニャク、レタス、キャベツなどの畑の間を迷路の様に(思えました)車を走らせて、

20130818111122.jpg
阿岨城跡

天正8年〜15年(1580〜1587)頃、存続していた砦です

沼田城下を一望できますが、現在は二重の堀跡だけが残っています

「つわものどもの夢のあと、だな」と言った人がいましたが、ホントにそんな感じでした
posted by: more | 歴史 | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
群馬地域史懇話会2
巡見2件目は、
「ビルマの竪琴」、大ケヤキで有名な雲昌寺(うんしょうじ)です

20130818095542.jpg
大ケヤキは、向かって左側、画像には写っていません、悪しからず
昭和32年に、群馬県の天然記念物に指定されました
指定当時、樹齢はおよそ700年
すぐ前の道路から見えますよ

まず、ご住職さんがお寺について説明をしてくださいました

20130818102103.jpg「ビルマの竪琴」のモデルは、先代のご住職
の中村一雄さん

終戦をビルマ(現ミャンマー)で迎えた中村さんは、英国軍の捕虜として収容所生活を送りながらコーラス隊を編成し、「埴生の宿」「荒城の月」「さくら」などを合唱して、他の捕虜たちの心を慰め、読経を行ない、死者を供養したそうです
復員してから、自らの体験をもとにした本を出し、ミャンマーと日本の双方の獅子屋を供養するため慰霊塔を建て、小学校も寄贈したそうです

20130818101836.jpg
そして、童子経曼荼羅図(どうじきょうまんだらず)と、おまん様

正確には「栴檀乾闥婆神王(せんだんけんだつばじんおう)の童子経曼荼羅図」
とっても珍しいです
軸の上部中央に描かれているは、乾闥婆は
胎児や幼い子供を守る神様だとか
 周りには15の鬼神たちが描かれています

「おまん様」は、夜泣きを直す不思議な人形のことで、胴長で両手両足をバンザイをするように高くあげる独特の形

この手作りのこの人形を借りて、
夜泣きをする子供と一緒に寝かすと、夜泣きが治るといわれているそうです
治ったら、お礼に同じような人形を作り、お返しするとか
画像下部に写っています

前日にレクチャーを受けたので
興味津津
珍しいですよね
 
posted by: more | 歴史 | 10:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
群馬地域史懇話会1
8月17(土)・18日(日)と、久しぶりに(ホントに何年かぶり)に群馬地域史懇話会に参加してきました。
今年は第20回で、場所は昭和村です
17日は、研修会と懇親会

沼田市・昭和村の自然から、風習、農業、戦国時代、とさまざまな分野の報告があり、盛りだくさんな内容

門外漢にも分かりやすくい説明なので、
この会は参加したくなります

18日は、巡見
まず車に乗り合って長井坂城跡へ
駐車場から徒歩で、廻ります

長井坂城は、
永禄3年(1560)、上杉謙信が布陣して沼田城を攻め沼田氏降伏
そして
天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めの後、廃城となったそうです

木々の葉や枯れ枝の残る道を下ると、
20130818091042.jpg
 道しるべ「右 たなした道」
江戸時代のものです

20130818091331.jpg
本丸の囲い

20130818091845.jpg
二の丸

そして少し行くと、
関越高速道路が眼下に見えます
そう、長井坂トンネルの上は
長井坂城跡なのです


posted by: more | 歴史 | 09:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
高崎れれれっ?歴史漫歩 その1 烏天狗とこんぴらさま
高崎市新後閑町(しごかまち)270にある琴平神社
(国道17号の城南大橋の信号の東隣、琴平神社前の信号入る)
四国は香川県の金比羅(こんぴら)さんから、
高崎藩士の寺田五右衛門宗有
三日三晩で往復し勧請したと
伝えられています。

 
社殿に向かって左:吽像         右:阿像

社殿に向かう石段の手前に、
眷属(けんぞく:神様の使い)の
烏天狗の阿吽像(あうんぞう)が建っています。

右側は阿像で、口を開けて
羽団扇(はうちわ)を持っています。
左側は吽像で、口を閉じて
剣を持っています。

ちょっとユーモラスな顔をしていて
親しみを感じます。

神社境内(左の端に、右側の烏天狗が写っています)

琴平神社の縁日は、毎日10日で、
祖母がよくお参りして
植木を買ってきたりしていました。

今月10日は、時間が早かったせいか
まだお店が1軒だけ。

大きな木(市の保存樹木もあります)に
囲まれていて涼しいです。

寺田五右衛門宗有は、「天真流剣法、健脚。
藩を一刀流に統一せし人。」と
『高崎人物志稿』にあります。
また、高崎藩の分限帳(ぶげんちょう)を見ると
寺田家は、中級藩士クラスのようです。
ほかに、7/11付のブログもご覧ください。

この神社は、もともとお稲荷さんだったそうで
社殿の下の洞窟に安置されています。
上の画像で、烏天狗の右側に穴が見えるでしょうか?

石段の右にも入口があって中に入ると

和田稲荷が祀られてます。
高崎で一番古いお稲荷さんだとか。

石段手前左の水屋「盥漱水」(かんそうすい)
盥漱は、手を洗い、口をすすぐこと、
身を清めることでもあります。
後ろを見ると、
「文政八年十月吉日」に寄進されたと分かります。
文政八年は1825年、今から180年以上前ですね。

石段の下から、社殿を見上げると
境内より小高い所にあります。
古墳の上に建っているとか。

もともと琴平宮は江戸藩邸にあり、
維新になってこの地に移したと言われているそうです。

社殿に向かって右側にも石段があり、
登りきったところ(社殿のすぐ右隣、社殿からも行けます)に
宝篋印塔が建っています。

宝篋印塔は、「宝篋印陀羅尼経」(ほうきょういんだらにきょう)という
お経を納める塔のことで、納めた塔を礼拝すると、
その功徳で、罪が無くなり、苦を免れ、長寿を得るそうです。

 左から2行目「高崎家士寺田宗有尊信」が見えるでしょうか?

銘文は、蓮華座の上の基礎部分の
正面から右回りに刻まれていて
 「宝篋印陀羅尼経曰(いわく)」から始まり、
左側の後半部から後ろ側にかけて、
 「高崎家士寺田宗有尊信、
   金毘羅大権現、又
  参禅而、奉持斎戒以祈
  祷
  君家長久家士安全多
  年矣遂、営造宝塔一基
  ‥‥‥
  時文化十三丙子年
     五月吉日 」とあります。
文化13年は、1816年。

また、台石部分(画像で少し黒く見える)にも
銘文があり、右側から始まり、正面、
左側まで刻まれています。

これには、
この宝篋印塔などが、江戸藩邸から維新の際に
移されたエピソードが、
玄孫(やしゃご:孫の孫、ひ孫の子)の寺田閏三や
藩主のことも含めて語られています。

 「明治丗二年五月 社司 高井東一」

文面の最後には、
  明治32年5月、
  社司(しゃし:神職)の高井東一と、
  社総代の清水孫三郎ほか8名、社格代理の新井要、
  世話人の悴田平七、書は萩原芳?
  石工が相澤小平
と、関係者の名前が彫られています。

明治32年は、1899年ですので、翌年が高崎の市制施行ですね。

高井東一は、高崎神社(旧名:熊野神社)の宮司で、
昭和4年(1929)、えびす講を始めるために、当時の青木市長が
美保神社の分霊の手続きについて問合せ、
交渉にあたったのは高井東一、
そして第1回のえびす講が開催されたのです。

社殿の扁額(へんがく:建物の高い位置にある額で、寺社名などが書かれている)は、
昭和2年に宇喜代(うきよ:ビューホテルの建っている所にあった高級料亭)が
寄進していますし、ほかにも見所がたくさん。

小諸に出かけたことがきっかけで始めた
「高崎れれれっ?歴史漫歩」シリーズ。
まだ、シリーズになってないですね(笑)

参考:
『高崎の散歩道』
『高崎漫歩』
『高崎人物志稿』
『上野国神社明細帳』
『上野国郡村誌』
『上毛及上毛人』
『高崎市史』ほか
Nさんにご教示もいただきました。
posted by: more | 歴史 | 18:23 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |